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明治維新と弥生人(?)の台頭の比較

  • 2006/11/09(木) 18:00:00

 江戸時代の日本人と今の日本人を比べると、食生活の相違で骨格も大きくなっているし、海外からの移住者も増大しています。百年前の東京と今の東京では、外人の数は格段に違うでしょう。地方都市でも同様です。でも、2000年後の日本人に、日本は明治以降、欧米文化をもたらした新たな人種により征服された等と言われたらどうでしょう?
 確かに、江戸時代までの文化と異なる文化が、明治以降海外から流れ込んできました。そして、日本人とは異なる人種の人が日本に住むようになりました。更に、そのような人達との混血も進んでいるでしょう。言葉も外来語の流入は膨大です。発音も多少変わってきています。また、江戸時代までと明治以降では統治機構も変わりました。でも、それは、海外からの人が日本を征服して新たな文化を築くのとは違います。
 縄文時代と弥生時代もそのような関係ではないでしょうか。つまり、縄文時代末期に、大陸から稲作文化や鉄器等高度な文化が流れ込み、そしてそれを伝える大陸からの人も日本に来ました。それで従来日本に居た人たちはどんどんそれを取り入れて行きました。また、大陸から来た人たちも住み良い日本に定住して行きました(大陸では戦国時代で難を逃れて来た人たちも多く居たことでしょう。)。言ってみればそれだけの事のように思います。また、日本列島の北端の北海道と南端の沖縄が原日本人の特徴を残しており、近畿地方を中心に弥生人的要素の強い人たちが分布している、ということを根拠とする渡来の弥生人による征服説についてですが、これも当時の為政者、権力者の周辺に渡来人が集まって来ただけと考えれば、征服云々ということにはならないと思います。一頃、騎馬民族が農耕民族日本を征服したといった説がはやったことがありましたが、日本には騎馬民族的な特徴を残すものは何一つ無く、この説は今は廃れていると言って良いでしょう。(参考:「騎馬民族は来なかった」)
これと同じようなものではないでしょうか。

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弥生人が縄文人を征服したのか?

  • 2006/11/07(火) 18:00:00

前回、弥生式土器を使用していた人たち、弥生人が、大陸から来て原日本人である縄文人を征服したという説に疑問を呈しました。今回はその続きです。
確かに、縄文時代には稲作が無く、弥生時代頃から稲作をするようになった、というのは時代的に大きく間違っていないでしょう(ということは、縄文土器の縄は藁ではなく、蔦の類だったのでしょう。)。そして、稲作は日本独自で発達したのでなく、大陸等からの伝来であることも正しいのでしょう。
 しかし、しかしです。だからと言って、稲作文化をもたらした大陸の人が弥生人で、縄文人を征服した、ということにはならないでしょう。稲作文化が大陸からもたらされた時、当然大陸の人も日本に来たでしょう。そして、元々日本に住んでいた人達と混血が進んだことも十分考えられることです。また、時の為政者は、新しい文化に興味を持ち、渡来人を近辺に置いたり、我が娘と結婚させたりもしたかもしれません。でも、それは、大陸の人が元々日本に住んでいた人を征服して、新たな文化を築いたことにはなりません。
明治以降の日本を考えて見ると似ているかもしれません。

縄文時代と弥生時代

  • 2006/11/05(日) 17:12:24

 縄文式土器と弥生式土器というものを小学校の時に習いました。縄目の模様の入った土器が縄文式土器で、縄文式土器よりも薄手で高温処理するようになった土器が弥生式土器です。縄文式土器を使っていた時代を縄文時代と言い、弥生式土器を使用していた時代を弥生時代と言っています。
 ところで、最近そのためか、縄文時代の人を縄文人と言い、弥生時代の人を弥生人と呼ぶようになってきているようで、良く「縄文人は彫が深く毛深く・・・、弥生人は眼が細く平板な顔つきで胴長・・・」等と言うのを聞きます。その上、弥生人が渡来人とニアリイコールで、縄文人を渡来人が征服したかのような説まで聞きます。また、日本列島の北端の北海道と南端の沖縄が原日本人(縄文人?)の特徴を残しており、近畿地方を中心に弥生人的要素の強い人たちが分布している、ということを根拠に、渡来の弥生人が日本の近畿地方から征服して行き、次第にそれが地方に広がった、という人も居ます。
 でも、私はこれに疑問を感じます。

合理的な武器と精神的な武器

  • 2006/11/02(木) 17:30:00

 武人として、日本刀は、単なる武器というより、武士の魂が宿る神聖なものとして扱われてきたと思います。織田信長が、長篠の合戦で武田軍に対し、火縄銃の統一運用で勝利しました。しかし、日本では武器の主体はその後も日本刀でした。幕末の戊辰戦争の時の新撰組は、武士の精神を重視していたこともあってか、やはり日本刀が武器の主体でした。火砲を取り入れた官軍との戦いでどちらが勝ったかは、ご存知の通りです。更に、幕末どころか二十世紀の大東亜戦争においても帝国陸軍の将校は日本刀を武器としていました。さすがに、現陸上自衛隊は日本刀を武器とはしていませんが、それ位日本刀は単なる武器というよりも武人の精神的拠り所のような位置づけで扱われていたと思います。
 もちろん過酷な戦場で勝ち残るための精神を鍛えることは必要ですが、組織の生存のための戦いにおいては、合理的な武器を使用することも必要だと思います。陸上自衛隊の個人装備は、射程300mのライフル銃が主流ですが、将来戦でも射程300mのライフル銃を個人装備とした方が良いのでしょうか。大陸間弾道弾やミサイル搭載無人機のような超長距離の兵器と市街戦のような場で活躍する射程50mもあれば良い程度の個人装備の二本柱になっていくような気がします。


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