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忍術と武道

  • 2006/10/31(火) 17:30:00

 前回の続きです。忍者が敵の情報を依頼者に提供するためには、まず、敵地から見つからずに帰還しなければなりません。もし、敵に見つかった場合、追っ手から逃れ、生き延びて帰還することが必要です。最悪な場合、敵と一戦を交えるかもしれません。しかし、この時は、情報を持って帰るためには負けるわけにはいきません。刺違えもだめです。生き恥を曝さぬ死の美学なんか関係ありません。例え見苦しかろうと、情報を持ち帰るため、なんとしてでも敵の攻撃を防ぎ、相手にダメージを負わせ、生きて帰還しなければならないのです。ある意味非常に合理的な戦いが求められています。同じ戦いでも武道とは異なります。忍術のことを忍道とは言いません。武士が領地の農民・町民の上の立場で治めるため、徳が求められていたのに対し、忍者は陽の当たる所で脚光を浴びるような立場でなく、一般町民等とは接触の無い日陰者であったのも関係あると思います。
 しかし、その反面、忍者の戦い方は勝つことのみに関しては合理的と言えるのではないでしょうか。多少卑怯な手を使おうが関係なく、遠間から手裏剣を投げたり、煙幕を使ったり、自分が生き残れれば何でもありです。そんな忍者の使用していた刀は、切るというよりも突く方に重点があったといわれています。確かに、相手が鎧兜を着ていても突くのであれば、喉や脇等少しの隙間からでも致命傷を与えることが出来るような気がします。こう考えると武器のあり方も考えると面白いと思います。

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武術と武道

  • 2006/10/28(土) 23:08:52

 前に、古武術紹介というテーマで書きましたが、甲野氏は武道といわず、あえて武術という言葉を使っています。武術というとあくまでも技(わざ)、体裁きといったところに重きを置き、精神的な面についてはあまり重視していないイメージがあります。武道というと、技のような技術的な面と、心のありよう、精神的な修養等が含まれていると思います。甲野氏は、武術を研究しているというこだわりを持っているようです。(もしかしたら、精神面の鍛錬については、謙遜するためにそう言っているのかも知れませんが・・・)
 私は、精神面の鍛錬も肉体的鍛錬と同様に必要だと思います。前に大相撲で露鵬の態度について書きましたが、体力的、技術的に優れ、勝負にいくら強くても精神的な面、徳といったものが磨かれないとどうも粗野な感じで好感が持てません。
 しかし、本当に合理的に勝負に勝つためだけの技術を習得しようと思えば、精神面の鍛錬等不要かもしれません。武道とはちょっと異なる忍術について考えると面白いと思います。

米に関する単位

  • 2006/10/18(水) 21:24:19

 米は日本文化を語る上で忘れてはならない重要なものだとおもいますが、今日は米に関する単位について、思いつくまま書いてみます。
 ご飯を炊くとき○合という単位を使います。一合はカップ一杯で約180mlです。十合で一升、一升ビンは約1.8ℓです。十升では、一斗といい、最近あまり見かけませんが昔一斗缶に灯油なんかが入っていたような記憶があります。十斗では一石になります。江戸時代の大名の石高でよく使いますね。
ところで、一食に一合の米を食べるとすると、一日で三合、一ケ月で一斗、一年では一石と少しといったところでしょうか。もちろん、米以外にも副食が必要でしょうし、その他衣服や日用品等も必要です。一家に子供が数人いるとすると家族をまともに養っていくのには数百石程度は必要だったのではないでしょうか。
 貨幣価値について言えば、もともと貨幣単位の一両は一石と同等だったようですが、物価の上昇か、貨幣価値の下落か江戸も末期になると一両で買える米は五斗もないこともあったようです。
また、一石の米を作るのに必要な田の面積が一反。その300分の一が一坪です。一坪で採れる米が約大人一人が一日食べる米の量くらいの換算になります。
 こんなことを考えながら時代劇を見たり落語を聴いたりすると、数字が実感として沸いてきますね。

古武術について

  • 2006/10/15(日) 09:49:33

普通私達が歩く時、左足を前に出す時は右腕を前に振ります。たまに、○○大会入場行進とかで緊張して右手右足が同時に出たりすると失笑を買います。しかし、かつて日本人の歩き方は、骨格の動きとしては右手右足が同時に出るような動きをしていたそうです。敢えて言うと「ナンバ歩き」というそうですが、その歩き方があまりにも当然だったので本来は名称はついていません。「骨格の動きとして」と言ったのは、実際に腕を大きく振るわけではなく、むしろ腕は振らずに歩くということです。階段を上る時、上げるほうの足の膝に手を載せて上っていく動作を平地でするような感じです。これについては、武術家の甲野善紀氏が道場を開いて実践し、研究しており、沢山の本も出版しています。
甲野善紀氏の著書 
現在様々なスポーツにも応用され始めているようです。桐朋学園高校のバスケットボール部や、短距離走の末續選手、野球の桑田選手等が良く紹介に挙がります。確かに武道の動きとしては右手右足が同時に前に出るような動きはありますし、農家の人が鍬で耕す動作もそんな動きになります。甲野氏によるとこの動きは無駄が無く、ためを作って力を出す通常の動きに比べると素早い動きになるそうです。私もよく歩き方を真似していますが、手ぶらだとチョッと見 不自然で恥ずかしいので、両手に荷物を持ったり、ポケットハンドにしたりして、さりげなく試しています。やってみると体が動く軸が確かに通常の歩き方と違うのが実感できます。


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