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日本文化の再興

  • 2006/09/30(土) 22:40:00

 文化や文明、特に日本文化、日本文明というものに興味を感じ、このようなブログを立ち上げていますが
「日本文明の興廃」(中西輝政著)PHP研究所
という本も、その題名だけ見ても興味をそそり、思わず一気に読んでしまいました。
 期待を裏切らない内容で千年単位の大きな視点から近・現代に至るまで書かれています。最初は、皇室典範の話、まだ悠仁親王様の御誕生前に書かれた物ですが、御懐妊のニュース後ではあったのでその辺についても触れられています。先の大戦そのものに至るコミンテルンの介入、或いは大戦後の占領下における政策等により現代は千年単位で見ても大きな危機にあるとのこと。私も、大戦前後における外国からの介入、左翼の運動により日本古来の伝統・文化が破壊されつつあると感じておりましたが、世代交代していけば本来の姿に又ゆり戻されるだろうと楽観的に考えていました。中西氏の著書では、これはもっと深刻な危機と捉えられています。また、イギリスで出版されたミトローヒンというロシア人諜報員の本の紹介からも周辺国が種々の工作を仕掛けてきている様子が伺えられます。日本人の人の良さ、誠実さが国家間の争いにおいては、裏目に出て近隣国のしたたかさに致されている感じがします。日本人本来の誠実さは失わず、かつ、近隣国のしたたかな工作にもかからない素晴らしい国、美しい国日本が再興できることを願っています。
 安倍新政権が発足しましたが、安倍新首相は、今までの言動を見ていますと日本古来の伝統文化に深い理解があり、また国際政治においては国家主権というものの重要性を認識されていると思われますので、今後のご活躍に期待しております。

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日本人の品格

  • 2006/09/23(土) 20:15:00


「日本人の品格」
http://item.rakuten.co.jp/book/4045481/
という本を読みました。昭和の軍人の自決の例が階級別で紹介されていたり、その他軍人の自決を通し日本人の武人としてのあり方について記述されたりしています。
 読み進むにつれ身の引き締まる思いが増し、また、当時の武人としての潔さを切実に感じました。その中で自決できなかった将軍の不甲斐なさも一部紹介されていましたが、これを読んでいてふと思い出したのが、
「日本はなぜ敗れるのか」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047041572
という山本七平氏の著書です。
 こちらは捕虜になった人の目から見た記述を元に書かれているものですが、これには現代の日本社会にも通ずるその場の空気、意思決定の曖昧さのようなものが良く表れています。村上龍氏の「半島を出よ」に登場する日本の政治家たちも決心を先延ばしにするような場面が出てきます。この辺が共通していますが、日本大好き人間の私としては日本人のマイナス面を曝されるようであまり良い気分がしません。事実は事実として認めなければなりませんが・・・。
話を元に戻しますと、この二冊の本を読んで感じたことですが、捕虜になった人たちは「日本人の品格」で紹介されている潔く自決した人たちとは別の考えを持った人ではないかということです。潔く自決するような人は、捕虜になるような辱めを受けるくらいなら死を選ぶ訳で、逆に言えば捕虜になった人たちは死を選ぶより捕虜となっても生き永らえる道を選んでいるのです。「日本はなぜ敗れるのか」の中では、日本人捕虜たちの集団が他国の捕虜たちの集団に比べ統制の取れていない烏合の衆のようなことが書かれていましたが、もし、自決したような人たちが捕虜の集団に居れば(実際には矛盾することで、あり得ませんが)、その捕虜の集団はそのような指揮官を核心に統制の取れた集団となっていたのではないでしょうか。「虜囚の辱めを受けず」ということを指導していた上層部が捕虜になってしまえば、捕虜の集団の中でその指導者は尊敬を受け得るはずも無く、自ずと統制の取れない烏合の衆に成り下がってしまうのでは無いかと思います。日本の社会の特性は、真の武人のような潔さを持った人たちが、その他の「その場の空気に流される人たち」を上手く指導できれば良くなるし、後者が主流を占めると平時はそれ程影響ないかもしれませんが、緊急時においては堕落した道に堕ちて行くのではないでしょうか。どちらがマジョリティになるのでしょうか? 或いはマジョリティの支持を受けるのはどちらなのでしょうか? それがこれからの日本の命運の鍵を握っているような気がします。

色彩感覚

  • 2006/09/20(水) 20:30:00

 日本人の色彩感覚は、原色よりも曖昧な色合いを好むのではないでしょうか。
韓国のチマ・チョゴリの色は原色をいくつか使用したような鮮やかな色合いですが、和服の柄というのは渋い色といったらいいのか、赤とか青といった単純な色でなく様々な色が混ざって濃淡もあり、一口で言い表せないような色です。
 住宅にしても最近は奇抜な色合いもありますが、基本的には原色のペンキで塗りたくるようなことはしないでしょう。
 食器にしても、中国の影響を受けたようなはっきりした色合いの陶器もありますが、土の味わいを楽しむかのような陶器が日本的なように思います。
 自然に存在する色で原色のものというのは少ないのではないでしょうか。草や木、遠くの山あいの色、渓谷に見える岩肌、コケ等々・・・。 ただし花には、チューリップの歌ではありませんが、赤・白・黄色と原色のものもあります。しかし、日本人の好きな花といえば桜で淡いピンクで遠くから見ても境界がくっきりとしないぼんやりした色です。
 自然を大事にする所から来る色彩感覚なのでしょうか。それとも、物事をはっきりさせない曖昧さを好むからなのでしょうか。いずれにしても昔からの日本の色彩感覚にはこのような特性があると思います。

全≒無

  • 2006/09/18(月) 08:35:00

 全部というのは、無に似ています。決してイコールではないけれど、似ています。いきなりそんな事言っても何の事?と思うでしょうから例を挙げます。もし、学校のクラスで全員が「小泉」という苗字だったら、そのクラスの子は友達を呼ぶ時きっと「小泉君」と言わずに、下の名前かあだ名などで呼ぶのではないでしょうか。つまり全員が同じ苗字であれば、それは他人と区別すると言う観点では意味を成さなくなってしまい使われなくなってしまいます。結局、無いのと同じではないのですが、無と近い感じになります。「足利」も「吉良」も「今川」も「新田」も「武田」もみんな「源」だけど、源氏の中で区別がつかないのでその地名等で区別するようになったのではないでしょうか。
 別の例を挙げます。もし、「テキストの○○から●●の範囲が試験で出ますよ。」と言われたとき、非常に勘がよくて試験の出題を今まで相当の確立で当ててきたA君が、「きっと、これとこれとこの問題が出題される。」と言って、また、テキストの要点をつかむのに長けたB君が「○ページの◇◇と△ページの■■と・・・これが出るよ。」と言ったので、「これは良い情報だ」と思ってその二人の言った所をチェックすると結局示された範囲全部だったとします。試験で出題された問題が二人の言った所から出ていたとしてもその情報はあまり有難くありませんね。全部は無いのと変わらなくなってしまいます。
 日本人は全体を気にするのではないでしょうか。「みんながやっているから」と言って他人と異なることをせず同じことをしようとしたり、会議では満場一致が最高によい結論と思っていたりするのが大勢を占めているように思います。
 他方欧米では、以前にも書いたとおり「個」を中心に考えられているようです。物事を善悪、プラスとマイナス・・・と二分していきます。灰色があっても、やや黒味がかっているから黒とか、無理やり白か黒のどちらかに分類するくらいはっきりさせたがるのではないでしょうか。宗教に関しても、欧米では神と人は別物で絶対的な神と原罪を背負った人の二つに分ける宗教観です。日本人は「泥棒にも三分の理」で心底からの悪人はいなく、程度の差はあるけれどみんな良心をもっていて何かの理由で悪事を働いたんだろう。とか、木や石、山等自然のもの、人も含めて全てのものに神様、仏性が宿っていてこれを崇拝したり感謝したりする宗教観があると思います。
 どちらが良いとか悪いとかではありませんが(既にこの考え方が日本的?)、私個人的には、万物は二元論ではなく両極端でない双方の特性を併せ持った中間的なものが全体を占めていると思います。二元論は全体を無理に二つに区分している近似値でしかなく、しかも、全体は本当は一つで、本来「善」だけどチョッと力及ばず悪があるように見えたり、光がチョッと届かなくて闇があるように思えるけど、本来闇は無く、闇と思われるところにも光が届けば明るくなってしまう。人間も良心、仏性を磨いていけば最終的には仏様になれる。という考え方がスッキリと得心できます。もしかすると日本人は、天地万物全てのものに神様が宿っていると心の奥底で認識しているのに、全≒無で逆に神が無いように勘違いして無神論に思われているのかもしれません。
 二元論者が全体論者になると戦争は無くなるのではないでしょうか。「文明の衝突」でなく日本の文化は「衝突しない文明」です。


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